おジャ魔女どれみ4シーズン全て完走して感情が揺さぶれられた状態での日記。
約200話も見てると、
自分が思考する余地なく、ただただその世界に浸って楽しむことができて貴重な体験だった。
普段は見た後何かしら考えるし、それが面白いからね。
最終話は嗚咽が出るほど泣いた。
自分でもどの感情がメインで泣いてるかわからなくて、そんなことってなかなかないので嬉しかったです。
どれみたちは小学生なので、たとえば将来の不安一つとっても心の底から不安になってて辛いだろうなと思ったけど、だからこそ大人にはできない”楽しい”ができるよなとも思った。
大人になると辛いことも辛く思わないようにするっていうか、
あらゆる視点から考えると”辛い”という着地点ではなくなることが多い。
その分物事は複雑なんだけど・・・。
でも自分は、ただ辛い・悲しいって思うしかなかった子供時代の自分より、今の方がずうっと生きやすいなとは思う。
最近、自分のアイデンティティでもある「オタク感情」について考えることがあった。
わかりやすいところでいうと、手越さんの本を買って読んだこと。
内容は話題になっている通りなので割愛するんですけど、私自身はあの本を読んで、また一つ人の生き様を見せてもらった気持ちになった。
ここ数年でジャニーズ事務所はいろんなことがあって、人も結構辞めた。
で、もちろんショックもあるけど、だんだん彼ら一人一人の人生の選択を面白く思えることに気づいたんですよね。
自分にとってアイドルのオタクをすることは、最終的に人間のオタクをすることだから、どうしても楽しんでしまう。
これもアイドル消費の一種なんだろうな。
それと自分もこれから、何度も人生を選択していかなきゃならないので、
大好きな人たちの人生の選択を見せてもらえてるの、めちゃくちゃありがたい、みたいな・・・。
勇気をもらえる、ってのもある。
ここ数年で、私たちオタクの存在や気持ちと、彼ら自身の人生は関係ない、
ってことが急速に腑に落ちたんですよね。
それまでは頭ではわかっていても、きちんとは理解してなかった気がする。
たとえば今のすばるくんの活動について、
正直、エイトにいた時の方がいろんなすばるくん(の仕事)が見れて楽しかったなって思うことはある。
でもそれは「こうあるべき」という話ではないし、
今のすばるくんが何をしようが、それについてどうこう言う術を自分は持たない。
ジャニーズの渋谷すばる、っていう視点では語れても、
一人の人間としての渋谷すばる、って話だとそれはもう本人のしたいようにするのがいい、って話でしかないから。
で手越さんの本の話に戻るけど、あの内容でファンが怒ったり、傷ついたりするのは当然だとは思う。
でも、ジャニーズでなくなった彼がこれから成功するかどうかは誰もわからないし、
なんなら成功が何を指すのかも本人の中にしかない。
それを例えば、「ちゃんとした大人が周りにいないんじゃ」とかっていうのもなんか、なんかな〜!みたいな。
あと詳細は忘れちゃったけど、辞めたメンバーのちょっとした発言や関わりで「やっぱり○○(任意のグループ名)の絆!」みたいな反応を見ると、
これもなんか・・・・もうそういう範疇の話じゃないよねって思う、思っていたいなみたいな。
できるだけこう、視野を広げて好きな人を見ていたい、って気持ちなのかなあ?わからん。
遡ると、こういう視点のきっかけをくれたのは、
KAT-TUNを辞めた時の赤西くんあたりからだったし、
すばるくんや亮ちゃん、辞めていった人辞めていない人、色々な人の人生の選択を見せてもらったから、理解できたのかもしれないなって思います。
選択っていうのは、選択するまでの過程とか、その後のあり方とか全部含めて。
ただ好きになっただけなのに、
自分の人生に必要なことを時とともに教えてくれるってすごいよね。めっちゃラッキーだったなって思う。
そして今はそんな大好きな人たちが教えてくれた、新しい考え方を大切にしたい。
っていう気持ち。
でそれって、自分の中のオタク感情とは相反するものなんだよね。
私の中のオタク感情って、誰かを盲目的に愛することだからな、やっぱ。
その盲目さと好きな人たちが教えてくれたこと、はわりと対極の位置にあるので、
適宜使い分けながら楽しんでいきたいと思ってます。
そういえば最近面白かったオタク的体験。
何にも知らずにドリアイ告知動画のこの瞬間を見てこの人めちゃくちゃかわいい!!!
ってなってます。それまで顔も名前も知らなかった。久しぶりの感じ・・・。
youtu.be
このまま大晴くんのファンになったら出番たった4秒?とかのこの動画出やん、とか考えるけど、
そういう一連の流れをいちいち踏むのも「オタク的感情」になっちゃうのでなんかあんまりやりたくないです(笑)
なんか進展あったらご報告します。
おわり