不妊治療記録その3 移植②〜③まで

その3です。
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miohaco.hatenablog.com

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自分も不安な時とかに人のブログを読んで大変参考になったので誰かの助けになればいいなと思って書きます。
あんまり用語の解説とかはないです。時系列順。

【2023年1〜2月】移植②、化学流産
年明けて病院へ。この時点で23回目の通院。よく通ってますね。
2月頭の移植に向けてまた薬ジャラジャラ生活。子宮の厚みを確保しなきゃいけないので仕方がない。

2回目の移植。確か4BAだったかなー。
この辺まではかなり検索魔で、"BT○ 体調"とかとにかく色々調べた。無駄とは言わないけどまあ気休めだよね。千差万別だし。
でもこの待ちの期間がとにかく私にはじれったく、さまざまなブログがあって助かった。ので私も今書いてる。
ちなみにフライング検査(自分で妊娠検査薬で調べる)は1回目の時にかなりがっかりしたのでもうやらないと決めてやらなかった。
 
体調に特に変化ないしまあダメだろ!と思ってたらまさかの陽性判定。BT10でhCG59とかで低く、とはいえここから上がってく人も全然いるから経過観察となる。
喜ぶに喜べない、し、心に決めてたのでずっと武士の顔。

1週間後、BT17で再受診。尿検査で陰性、エコーでも胎嚢が見当たらず化学流産判定。

この時の気持ちは「なんかよくわからんけど一歩ずつ進んでるな」でした。
毎回子宮も胚盤胞も一期一会(?)なんだけど謎に段階が進んでいて、先生的にも継続しましょうとのことで承諾する。


【2023年3〜4月】最後の卵移植前にしたこと、移植③、稽留流産
あれよあれよという間に治療から一年が経過していて、凍結できた卵も残り1つとなってしまった。
流石にもう一回採卵は...。という気持ちもあり、もしかしたらメンタル的にも最後の挑戦かもしれない、悔いなくやろうと思って前から上司が言っていて気になっていた漢方屋に駆け込むことにする。
そこは上司や、他部署の人も切羽詰まった状況の時に駆け込んだところで、信じがたいがそこから劇的に卵の質が改善したり、妊娠が継続したりした怖いところだ。

漢方の知識は0なので先生の話を普通に面白く聞く。
昔は日本では胡散臭いもの、だったけど最近は医学的にも認められていて云々、という話だった。
不妊治療に強い漢方屋なのもあってこちらの状況を詳しくヒアリングしてもらえたのが良く、今もセカンドオピニオンじゃないが、別の視点からの話が聞けて重宝してる。

移植期の漢方はびっくりするくらい高いのだが、治療本体の持ち出しが思ったよりなかったため強い気持ちで支払った。
しかし病院からの薬に漢方も加わって本当に薬漬けの人間になり、これまで健康優良人だったので不安になる。
移植期は泥団子みたいな漢方を齧らないといけなくてまあまあ苦痛だった。

そんなことをして挑んだ移植3回目。
今回からAHA(アシステッドハッチング)という着床を助ける処置もしてもらった。
移植後はもうかなりメンタルが仕上がっており、何も調べず淡々と過ごした。

結果はBT10でhCC21.8。20台って。
通常であれば100くらいは欲しいのに前回より低い。
がっかりしたが今回も様子見となった。
そこから約1ヶ月、病院も漢方も1週間に1回通院となり多忙な日々を過ごす。
陽性判定から4回目の受診で、胎芽までは見えていたが胎嚢が萎んでしまい心拍確認もできず、"稽留流産"判定となった。

この時の心境はかなり興味深かったので残しておく。

・がっかり
もちろん一番はこれ。もう手札が0になってしまったという感覚。そして先生はよくやってくれているが、他の病院ではまた違った結果になるのではないか?という疑念。

・無
体外受精になってから私の不妊治療は「こなすべきタスク」だった。スケジュールも概ね決まっているし、決められたことを淡々とこなせばいい。とてもありがたかった。
そしてそう思っていないと持たなかったと思う。
メンタル部分は治療記録が全部終わってからまとめて書くが、例えば化学流産にしろ稽留流産にしろ、その子を第一子として名前を付け、毎年命日をお祝いしている人とかもネットの海で見た。自分はそんなことをしてたら心がやられてしまうと思ったのでやらなかった。

・どこかホッとした
タスクとしてこなしていた治療がいよいよ「妊娠」および「出産」になるかもしれないと思った時、未知のものに遭遇する恐怖みたいなものが確かにあった。
子供が欲しくないというわけではなくて、日常ってある日突然変わるよねみたいなそーいうやつ。

そんな感情が入り混じって、とりあえず近日中に胎嚢が排出されると思うので、そこから次を考えましょうということになった。





 

※※※※ここからちょっと人によってはグロい トイレとか血の話もある※※※※

 





排出!?と思いながら数日を普通に過ごし、地元から弟が遊びにきていたので夫と3人で居酒屋に行く。
その頃には生理が来ていたので、タンポンを入れて過ごしていた。

治療中はお酒が飲める=妊娠できなかったということになるのでしみじみしながら飲んで、そろそろ替えようと思ってトイレに行ってタンポンを抜くとかなりでかい血の塊みたいなのがついており、しげしげと見てしまう。

ちょっと考えてあっこれ胎嚢じゃん!と思う。
どうしようかなと思った、というのは人によってはそれを病院に持ってって調べてもらったりする、というのをネットで見て知ってたから。
でもなんか、まあいっか、って思ってそのままトイレに流した。
その時に私は、「お疲れ様!またがんばろな!」と胎嚢らしきものに心の中で声をかけたのだった。

この時に思ったのは、「本当に私のお腹の中にいたんだな!」っていうこと。
採卵だの移植だの、ずっと白黒のエコーで見ていて、実感もなく、このために時間もお金もかけているのにマジでこれ自分の中の話なんか?って思ってたから、
初めて生で見れて嬉しかったし、本当だったんだーと思って後でなぜかちょっと泣けた。

トイレから出て、まだ弟には治療のこと言ってなかったので帰ってから夫にこっそり報告。
こうして私の3回目の移植は幕を閉じたのでした。

次回は転院に悩んだりなんだりしながら先に進みます。いよいよ現代(?)編!