寿嶺二恋愛END感想
※ネタバレを含みますのでご注意ください。
寿嶺二は自分が何に囚われていて何を求めているか、そしてそれがどうすれば(どうなれば)手に入るかわかっていた。
でもそれを手に入れたかったかというとたぶんそうではなくて、マイナスな意味でなく自分の人生を受け入れていたと思う。
それが彼が長年思い悩み、そしてかなり早い段階で芸能界に入り苦労したからこそ培ってきた大人としてのずるさだなあと思った。
彼は嬉しさと悲しさのちょうど真ん中に立っていて、そこから同じ長さだけ手を伸ばせば届くという意味で、嬉しさと悲しさを同列のもの、としているように感じた。
それがハッピーエンドを見てもなお手放しには喜べない理由だと思う。
寿嶺二が自分で言うずるくて汚い大人っていうのは本当にそうで、
寿嶺二のずるさと汚さっていうのは、辛さも含めてもうとっくに受け入れてるってことなんだよな!
救われたらいいなとは思うけど絶対に救われたいとは思っていない、その感じがずるくて、汚いと思う。
自分の現状を変えるには文字通りの「キー」が必要だとわかっていた、彼は賢いから。
キーさえあれば自分の全てを動かしてみてもいい、そんな風に思ってたんだと思う。
だから目の前に現れた七海春歌を見て、
彼は彼女をキーにすることをおそらく自分で「選んだ」んだと思った。
いたって冷静に。本当にずるい。
恋愛ENDを見た後一番最初に頭に浮かんだのは「罠」とか「手のひらで踊らされてる」だったんだけど、そんな甘っちょろいことじゃない。
彼が諦念という海をたゆたっていた時に現れた救い、それは決して予想外の愛でもなんでもない、
なぜなら寿嶺二は、そういうパターンも長い年月の中できっと一度は想像していたから。
キーがポンと現れたら当然嬉しいし、自分の心を開いて本気で愛を捧げるけど、寿嶺二は別にそれを唯一無二の正解にしてない感じが本当に、本当にずるい!!!
でも彼がそう思うのは、心を閉ざしてから過ごした毎日も、決して悪いものではなかったからなんだろうな。
あーあまったくもって手に負えない男にに捕まってしまったな!
・・・というようなことを降りしきる雨の中、ホテル最上階のスイートルームで彼に抱かれながら考えていた。
そして寿嶺二の弱さについて。
彼は過去のことがあり、人と仲良くなること、一歩踏み込むことで生まれる相手との関係や責任、自分の中の感情を避けていた。
自分が原因で人に影響を与えたくない、なぜなら自分が傷つきたくないからという気持ちから来る数々の行動は、
何も知らない人から見たら「優しさ」になるんだろう。
でも寿嶺二は、人が自分のせいで傷つくくらいなら、心を閉ざして空っぽの自分が全て背負えばいい、それが一番楽、という考えをしているように見えて、
ある種の傲慢さに怒りすら覚えた。
寿嶺二には弱さがあるけど、それは彼の傲慢さの上に成り立つもので、
私はそれを直視するのが少し辛かった。
なんて強いんだろうと思ったから。羨ましくて。
七海春歌はそれを寿嶺二の優しさというか、本来持つ人間味というように捉えて信じたみたいだけど、私にはそんなことはできない。
それはたぶんハルちゃんが真っ直ぐで若くて、そして私はどちらかというと寿嶺二に共感してしまうからなんだろうけど・・・。
彼を知ってからずっと「この人は好きになりたくない」って本能で感じてきたけど、やっぱりそうだった。
この人を好きになっても私は幸せになれない。
というか、寿嶺二が思う幸せのうち、彼の中でもう想像しきったうちの分岐の一つなんだろうなという思いに囚われて、
彼がいくら愛してくれても信じきれないので失礼になってしまうなと思った。
私は彼が特殊だなんて思えなくて、人間生きていれば色々あるので、嶺二のような考え方になる人はいっぱいいると思う。
人を好きになるということは本質的には厄介なこと、面倒(手間がかかること)なことだと思っているから、
寿嶺二の「面倒」を背負うことが自分にとって幸せかどうか、そこで決まると思うんですよね。
彼が想像していた人生のうちの一つにはまってしまったという感覚が、
私が彼を手放しで好きだと思うことを邪魔しているなあと思い、
まったく手に負えない人だなあと思うのでした。
*10/28 7:14追記*
ていうか彼は自分の苦しみや自ら選んだ孤独を七海春歌に開示するときも、計算とまでは言わないけど「今自分はここぐらいまでの線引きで自分を開放している」
って頭で認識して話してそうで本当に・・・本当にさ!
自分の感情を正しく把握していて、それに基づいて行動してるから嘘はないんだけど、たとえば実家に帰ったのだってその時点でまたいろんなパターンを想像していたんだろうなと思わせる寿嶺二、好きになってはいけなさすぎる