妊婦生活備忘録20240309

 

こんにちはーみなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は初めての妊婦生活、興味深く楽しんだり苦しんだりしながら過ごしております。

 

前にブログ書いてからまた日が経ったから、妊婦生活の備忘録書いていきます。

 

*つわり

まずはこれ。

話には聞いてたけど体験してみると本当に意味がわからない症状だったな。

 

事前のイメージでは「食べ物の匂いが受け付けなくなる」って感じだと思っていたけど、もっと曖昧なのに明確なものでした。

例えば大好きな卵が急になんとなく気乗りしなくて食べなくなるとか、気乗りしないけどおいしくは食べれるから食べてみると吐く、みたいな。

これのメカニズムが未だ解明されてないのやばすぎる。程度の差はあれどかなりの妊婦がこれを経験している、やばい。

 

あと普段ほぼ水しか飲まないのにわかりやすくオレンジジュースとかがおいしくて飲んでた。

当時限定品で出てたきりっと果実のパイン味にマジで救われてた。

あとガツンとみかんもすごい食べてましたねー。

典型的食べづわりだったので空腹時が一番気持ち悪く、こまめに冷たいおにぎりとかクリームパンを食べておりました。

調子乗って食べすぎると確定で吐くのでバランスが難しかったな。

あと毎食食べたいものが変わって、しかも一番食べたいもの以外を適当に食べると吐くので食費がかさむかさむ。

職場の経験者が「赤ちゃんに操作されてると思うくらいコロコロ変わってた」って言ってて変に納得した。

 

仕事はテレワークを増やしつつ普通に働いてたんだけど、今思えば辛かった気がする。

 

だって眠い、だるい、吐き気を対処法見つけて都度いなしながら仕事をこなしてるのおかしいだろ。まあ気がまぎれる側面もあったからいいけども。

職場でも何回か吐きつつ仕事してて客観的にマジかよと思ってましたね。

当事者の時ってただ対処するだけだからそうでもないんだけど今思うと頑張りましたねって感じです。

私って吐くことに抵抗少ないしかつ上手いんだなとつわりで気づく。

 

つわり期間って自分で望んでこうなったはずなのに体力もガタ落ちしてメンタルもやられるから、後悔に近い感情が芽生えたりもして私が感情のオタクだったからよかったものの振り回される人いっぱいいるだろ!?なんなんだこれはと思っていました。

 

 

*体力が落ちるって本当にやばい

普段はめっちゃ予定入れてて、かつ家でも簡単に筋トレとかしてたんですが、つわり期に突入してただ寝てる時間が増えて体力がとんでもなく落ちた。

 

体力が落ちると何をしても疲れるし、だるいし、ただ電車で移動するだけなのに不安があったりしてそれだけで心もとんでもなく疲れる。

でも無理しなさすぎもメンタルが病人になっちゃって良くないから、頑張って遊びに出かけてめちゃくちゃ楽しくて涙、みたいな感じでした。

 

日頃、いかに普通に生活するだけで無意識に運動をしていたか、それがどんなに大事なことだったか身に沁みたし、元気になったら絶対絶対体力戻すぞと思っていたので今楽しく運動ができています。健康第一だよ本当に。

 

 

*何もしてなくても罪悪感がない不思議期間

これは自分の気の持ちようの話なんだけど、お腹で赤ちゃん育ててるだけで偉いと思いずっとゴロゴロしてても罪悪感とかないのは新感覚だなと思う。

仕事も私自身はできるだけ変わらず頑張ります!という姿勢でいるんだけど当たり前に周りができる範囲でね〜という対応になるのでまあそらそうか....(着席)みたいな。

だし私がギリまでバリバリやるよりも後任がスムーズにできるように努める方がいいしね。

 

もう流石に多少自覚はあるけど、初期は周りに妊婦扱いされてそっか私妊婦でしたね、となることも多くちぐはぐで面白かった。

当事者にならんとわからんことってたくさんあるよね。

 

あと妊娠前とは時間の使い方がちょっと変わったというか、何もない時間を楽しんでいる感じがある。

何かに突き動かされるように遊んでいた時とは違って空想にふけったり家のことしてみたり、こういう今までと違った時間を赤子にもらってるんだなという気持ちになった。

 

 

*とはいえまだ見ぬ存在なんだよね

私はそんなにまだお腹の子がめちゃくちゃ愛おしい〜とかないんだけど、よく考えるとそういうメンタルになると毎日愛おしすぎてメンタルやられてたと思うのでよかった〜と思ってます。

オタク気質的にも好きなものには溺愛型なので...。

 

まだここにないものに関して色々調べたり、準備したりってのも毎日不思議ですね。不思議がメイン感情かもなー。

 

 

*趣味との付き合い方

オタク活動ってそもそも自分の気持ちや状況で移り変わっていくものなので、意識的に変えたということはなく、無意識に色々変わってるんだろうな〜とは思ってます。

身の丈に合った楽しみ方をする訓練()は今まで散々やってきたので、これからもうまくやっていけたらいいなー。

3月で健人くんもグループ活動終わっちゃうしな〜と思うと色々と区切りですね。配信者のオタクは家が現場なので大変助かっておりますこれからもよろしくお願いします。

 

 

*世の中の見え方の変化、期待と不安

自分が子供を育てるんだという思いで見る世の中って見え方変わるね。

視野が広がったように感じて嬉しいこともあれば、その分懸念も増えて怖いなーと思うこともある。

 

あと一番は、イライラ感情が苦手なのでそれが起こらないようにしてきたけど、子供が産まれたら思い通りにならないことしかなくイライラと向き合っていかなきゃならないんだろうなと思うとそれが怖いかな。

その分今からでは想像のつかない楽しいことも得られるとは思うけどね。

 

外で見かけた子供が泣いてたり騒いでたりするのを見てこれを許容できるのか?って思ったり、小学生の子達がハラハラするような乱暴な?言葉で会話してたり大人目線で見る子供ってままならなすぎてなー。

でも自分が子供の時ってそれが自分の世界だったし、楽しいことももちろんたくさんあったので、理想だけで言えばできるだけ子供の目線を尊重したいな、とか思ったり...。

こんなこと考えるようになったのも客観目線おもろいですね。立場が人を作るってマジ。

 

私は家族というものにそんなに夢を感じていないし、自分が親の気持ちを想像できるようになったのって自分が大人になってからなのでそれくらい親と子って乖離がある、もっというと分かり合えないと思ってるんだけど、分かり合えずともできる限り楽しい家でありたい、それに尽きるなと思いますね。

 

次書く時には出産レポかもなー。

まあそもそも無事産まれるかもわかりませんが....。頑張るぞ〜。

不妊治療記録その5。長めの余談。

ここからは時系列関係なくぽつぽつと書いていこうと思います。

 

 

【結局子供は前向きに欲しくなったのか】

最終的に今はすごく楽しみです。

だけどこの治療期間がなかったら自分の気持ちも固まらなかったなーと思う。

基本辛いしかない治療をやめなかったのも、もちろん結果を残してぇ勝ちてぇという気持ちもあるけど、心のどこかでせっかくなら、って気持ちが消えなかったからだとも思います。

あとシンプルに、私と夫の子供ってどんな子なの?という真っ直ぐな興味もあったし。

 

子供がいる人生になったらもういなかった人生のことは知れないし、その逆も然りで不可逆な中で、何を選んで、選んだ先のことを正解にしていくかだと思ってるのでそういう意味では覚悟がついたとも言えるのかもねー。

 

あとは私の身近に本当に子供がいなくて、そんな中で街や電車で見かける子供が可愛いというより「得体が知れなくて怖い」と思ったのも一つの理由だったりする。

子供が何不自由なく過ごせる未来と社会であって欲しいと思う気持ちは本当なんだけど、ミクロで見た時に自分自身は子供のこと怖い、ちょっと敬遠したいと思ってるのがなんか嫌だったというか。

未知のものって怖いので、そしたら当事者になれば良くも悪くも違う感情になるかなと思って。

 

でも治療をするにつれメンタルが整って、本当にどっちでもよくはあった。

ここまで頑張ってもダメなら、私は幸運にも人生の楽しみ方をたくさん知っているから、多少たまにせつなくても、いくらでも楽しんでいけるだろうって思っていたので。

それはこれから先も変わらないです。

 

 

【情報への感謝、妊娠というシステムへの怒り】

途中でもちょこちょこ書いたけど、今回本当にインターネットの海にある一人ひとりの治療経験談や、YouTubeの治療vlogがめちゃくちゃ役に立った。

役に立っただけじゃなくて言ってしまえば当事者の自分が楽しめるエンタメですらあった。

彼女たちの言ってることがわかり、気持ちを想像することができたし、世の中には知らんことがたくさんあるな、何が起こってもおかしくないと素直に思えました。

 

妊娠というシステムが未だ女性側に大きな負荷がかかること、下手したらその痛み苦しみを良しとしている価値観も未だある中で、さまざまな理由で子供が欲しくて日々戦っているみんなのことを場所も時間も超えた仲間だと思ってました。インターネット最高〜。

 

 

【今まで見もしなかったことに目を向けるようになった】

治療中、そして今も、できるだけたくさんの情報を入れたいと思って思わず目を背けたくなるような現実の話とか、本当にたくさん見た。

もしこうなっても自分は子供を育てられるのか?とか、この時どう思うのかな、とかたくさん想像した。

所詮想像で実際はなってみないとわからないけどシミュレーションは無駄じゃないと思っていて、少しずつ自分の価値観がわかっていったなーと思う。

立場が変われば考え方も変わるよね。

 

 

【夫婦で取り組んだ不妊治療】

本文中に夫の話をそんなに出さなかったんだけど、当たり前に2人で頑張りました。1人じゃ無理よこんなもん。

とはいえ治療自体はほぼ女性しかやることないんだけどね。

2人とも子供に対するスタンスは似ていたので、励ましてもらいつつそこまで常に話題にするでもなく、私がメソついてても明るく接してもらえたのも助かった。

YouTubeで妻と一緒に泣いてくれる人とかも見たけど私にはたぶんそれは合わなかったと思うので。

通院時にあったことは常に共有していて、「全て知っている」という状態は本当に大きいなと思いました。

これからも力を合わせて頑張っていかねばなるまいよ。

 

 

【好きなものたちへの感謝】

感謝=∞すぎるんよな(ネタが古い)。

治療一色の生活なんて耐えられるはずもなく、仕事や治療の合間をぬっていつも通り配信見たり、現場行ったり、遊んだりすることの精神安定剤さはすごかった。

治療で自分の体の尊厳とは〜みたいな気持ちになった時に、当たり前だけどそこから一歩離れたら何も変わらない日常が流れているというのはあまりにありがたかった。

 

世の中には楽しいことが溢れていることを知っているってデカすぎる。

オタクやっててよかった〜!結局オタク礼賛の話?

 

 

【妊娠・出産という巨大ジャンル】

不妊治療という旬だけどちょっとニッチジャンルから妊娠・出産というご長寿巨大ジャンルに身を置いたわけですが、まじで巨大ジャンルすぎて普通に毎日おもろいです。

至る所にあることないことな情報・伝承が転がってて、言うて妊婦活動ってまだそんなにやることなくて暇なんで面白く見てます。

不妊治療と違ってありとあらゆる企業のターゲットになっててやろうと思えば個人情報を犠牲に無限にいろんなものもらえるし...。

つわりの話とかそういうのもまた書きたいね。

 

 

【最後に】

自ジャンルすぎて気付けば合計で1万字越えてて大満足だし書けてスッキリしました。

予定日は6月で、順調にいけば3月いっぱいくらいで仕事はセーブする感じになりそうです。

ずーーーっと社会人やってきてここで初めて1年とか休むことになるのかーやばすぎる。未知すぎる。

楽しみヂカラだけは無くさないようにしながらライドしていきたいです。

 

ちなみに治療に関して聞きたいフォロワーとかいたらまじでなんでも聞いてください。一人ひとりの伝承、無駄じゃないジャンルだと思ってるので。

 

それではここで本当におしまいです!明日はにじフェスなので寝ます!おやすみなさ〜い!

不妊治療記録その4 転院に悩む〜採卵③移植④、そして現在

その4です。
過去記事はこちらから↓

miohaco.hatenablog.com

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自分も不安な時とかに人のブログを読んで大変参考になったので誰かの助けになればいいなと思って書きます。
あんまり用語の解説とかはないです。時系列順。

【2023年5〜7月】お休み期間、転院に悩む
稽留流産ってことでまた子宮が元に戻るまで2周期くらいお休みすることに。
期間中、かなり転院について悩む。
この検討作業は、言われた通りやる脳死タスクから外れるのでだいぶしんどかったです。

*理由*
・他にやりようがあるのではないか
先生はよくやってくれているけど、基本1人で全員を見ているから、有名な病院で医者が何人もいる、みたいなとことはやっぱり勝手が違うのではないか?
3回移植して段階は進んでるけど細かな説明が毎回あるわけじゃないし、もっと明瞭なところの方が自分に向いてるのではないか?と思った。
また今後着床はするものの心拍確認までいかないことが続く「不育症」だった場合に、今の病院では検査の体制がなかった。

・もっとドライで待ち時間の少ない病院がいいかも
毎度最低1時間、長いと2時間待つ。なのに診察は5〜10分。そして会計までまた15分くらい待つ。それは先生が割と人情型の人で、一人一人に寄り添っているからだと思われた。
(とはいえ不妊治療の病院はかなり待つのがセオリーだったりする)
私は寄り添いとかいらないのでもっとドライにやってもらってよかったし、実際それを謳って待ち時間30分に短縮してる有名医院もありかなり揺らいだ。
なんなら初診の予約までしていた。


結果、転院はしなかった。
本当に悩んだけど、転院したからと言って結果が改善する保証はないことと、1から始めるタイムラグを思うと今の病院で段階は毎度上がってるし、そのまま続けようと僅差で思えた。
ただし保険内の移植はあと3回。(6回まで保険が効く)
それがダメならもう自費診療になるのでさまざまなことができる大きな病院に行った方がいいから、そうなったら転院しようと思った。


【2023年7月〜8月】採卵③
お休みを経て7月末に3回目の採卵。慣れたけどやっぱり毎度嫌だ。
今回は今までで一番痛くなかったけど、麻酔が切れた後の痛みがやばくて立ってられずヨロヨロタクシー捕まえて帰った。
どうでもいいけど暑い中全然タクシーが来なくて、前に海外旅行帰りの若いゴシック系のカップルが並んでて2台来たから私も乗れる!と思ったらカップルじゃなくて他人だったから結果もう1台来るまで待った。
ペアルックくらい服の系統似てたのに!?納得いかなかった。

採卵と培養結果なんですけど、確か10個以上取れて6個凍結で状態も全て良くザクザクで笑った。
何があれって、漢方飲み始めてから初めての採卵で鬼のように結果がよかったため怖かった。漢方、何者?
職場の人も漢方飲み始めてから卵の質がぐんと上がったって言ってた。怖い。


【2023年8〜10月】お休み期間、移植④
また2ヶ月お休み。
年一の恒例となってる福岡訪問今年もめちゃくちゃ楽しかった。
10月頭に移植。その後夫婦で金沢に旅行に行ってめちゃくちゃ満喫する。
いずれにしろストレスを溜めない方が良いので本当に楽しく過ごした。

余談だがちょうど10月の移植期に職場の後輩にメンタルをやられかけてしまい、もしこれでストレスで生理が来なくて移植の見通しが経たないとかあったら私はこいつを一生恨んでしまうと思ったんですが早めに逃げられたのでもろもろよかったです。

そして来たる10/11の判定日、陽性。
hCGもたしか200くらいあった。初めて初回でいい数値が出る。
少しホッとしたけど全く安心はしてなくて、引き続き淡々と通院する。

その後胎嚢、そして初めて心拍確認までできてびっくり。
実感もないまま出産する病院も決めて紹介状を書いてもらったりした。

本当に実感がなかったから、一番グッと来たのは約2ヶ月の薬ジャラジャラ生活から解き放たれたこと。
それと転院先の初診予約を取ったのでいつまでこの病院に通うのか聞いた時に、先生がニコッと笑って
「あと2回くらいかな?こんな所に長くいない方がいいけど、もう少しだけ僕たちに赤ちゃん見させてくださいね。」って言われた時にマジで泣いちゃいそうで我慢した。

人情型は私には必要ないと言ったものの、私はこの先生が初回の夫婦カウンセリングで私と夫、両方に向けて熱心にさまざまな話をしてくれたことが好印象だったし、
ちょっととぼけたような口調や、移植の時に「ウオオオオー!」とか言って気合いで移植してくる謎のムーブとか笑えて好きだったんですよね。
このおじちゃん先生がとんでもない熱意で、ほとんど休みもなく、きっと業界的にはそんなに儲からない不妊治療という分野で人に向き合っていることを、予定外の長い治療期間で知ってたから、この先生のもとで一旦結果を出せて本当に良かったなと思いました。

それに診察中は毎度後ろで看護師さんが見ていてくれてて、先生の話が長いと「やれやれこのおっさんは...」みたいな目で見てるのがツボだったんですが、
ちょうど最後の通院の時の看護師さんが割とよくいてくれる人で、その2人に向かって頭を下げてお礼を言った時に本当に胸いっぱいになってしまいました。

約1年と7ヶ月、タイミング法の時やブッチした期間も入れるなら約3年でのクリニック卒業でした。


【2023年11月〜】そして今
そんなつもりなかったのに筆がノリに乗ってしまい妊娠COになってしまいました本当に私って...のやつ...。
でも結局治療出身者なので、いついかなる時も流産、死産の可能性があることを知っていて、全然喜びまでいっていないのが本音です。
だから、と言ったら変だけど、もしこの先どうなっても、この治療期間に悔いはないなという想いも込めてほぼ全てを書きました。

とはいえ日々きっとお腹の中で成長はしてくれてるはずなので、いつまでも実感ないとか言ってないで少しずつやれることをやってこうと思ってます。

一旦治療記録はここで終了。
この約2年、不妊治療が自ジャンルすぎて書きたいことがありすぎたため長くなってしまいました。
本当はまだまだたくさんあるんだけど収拾つかないのでこれくらいの勢いで書くのがよかったかも。
読んでくださった方ありがとうございました!

かなり時系列順に事実を淡々と書いたので、次の投稿でもう少し気持ちの話をして〆ようと思います。
 

不妊治療記録その3 移植②〜③まで

その3です。
過去記事はこちらから↓
 

miohaco.hatenablog.com

miohaco.hatenablog.com



自分も不安な時とかに人のブログを読んで大変参考になったので誰かの助けになればいいなと思って書きます。
あんまり用語の解説とかはないです。時系列順。

【2023年1〜2月】移植②、化学流産
年明けて病院へ。この時点で23回目の通院。よく通ってますね。
2月頭の移植に向けてまた薬ジャラジャラ生活。子宮の厚みを確保しなきゃいけないので仕方がない。

2回目の移植。確か4BAだったかなー。
この辺まではかなり検索魔で、"BT○ 体調"とかとにかく色々調べた。無駄とは言わないけどまあ気休めだよね。千差万別だし。
でもこの待ちの期間がとにかく私にはじれったく、さまざまなブログがあって助かった。ので私も今書いてる。
ちなみにフライング検査(自分で妊娠検査薬で調べる)は1回目の時にかなりがっかりしたのでもうやらないと決めてやらなかった。
 
体調に特に変化ないしまあダメだろ!と思ってたらまさかの陽性判定。BT10でhCG59とかで低く、とはいえここから上がってく人も全然いるから経過観察となる。
喜ぶに喜べない、し、心に決めてたのでずっと武士の顔。

1週間後、BT17で再受診。尿検査で陰性、エコーでも胎嚢が見当たらず化学流産判定。

この時の気持ちは「なんかよくわからんけど一歩ずつ進んでるな」でした。
毎回子宮も胚盤胞も一期一会(?)なんだけど謎に段階が進んでいて、先生的にも継続しましょうとのことで承諾する。


【2023年3〜4月】最後の卵移植前にしたこと、移植③、稽留流産
あれよあれよという間に治療から一年が経過していて、凍結できた卵も残り1つとなってしまった。
流石にもう一回採卵は...。という気持ちもあり、もしかしたらメンタル的にも最後の挑戦かもしれない、悔いなくやろうと思って前から上司が言っていて気になっていた漢方屋に駆け込むことにする。
そこは上司や、他部署の人も切羽詰まった状況の時に駆け込んだところで、信じがたいがそこから劇的に卵の質が改善したり、妊娠が継続したりした怖いところだ。

漢方の知識は0なので先生の話を普通に面白く聞く。
昔は日本では胡散臭いもの、だったけど最近は医学的にも認められていて云々、という話だった。
不妊治療に強い漢方屋なのもあってこちらの状況を詳しくヒアリングしてもらえたのが良く、今もセカンドオピニオンじゃないが、別の視点からの話が聞けて重宝してる。

移植期の漢方はびっくりするくらい高いのだが、治療本体の持ち出しが思ったよりなかったため強い気持ちで支払った。
しかし病院からの薬に漢方も加わって本当に薬漬けの人間になり、これまで健康優良人だったので不安になる。
移植期は泥団子みたいな漢方を齧らないといけなくてまあまあ苦痛だった。

そんなことをして挑んだ移植3回目。
今回からAHA(アシステッドハッチング)という着床を助ける処置もしてもらった。
移植後はもうかなりメンタルが仕上がっており、何も調べず淡々と過ごした。

結果はBT10でhCC21.8。20台って。
通常であれば100くらいは欲しいのに前回より低い。
がっかりしたが今回も様子見となった。
そこから約1ヶ月、病院も漢方も1週間に1回通院となり多忙な日々を過ごす。
陽性判定から4回目の受診で、胎芽までは見えていたが胎嚢が萎んでしまい心拍確認もできず、"稽留流産"判定となった。

この時の心境はかなり興味深かったので残しておく。

・がっかり
もちろん一番はこれ。もう手札が0になってしまったという感覚。そして先生はよくやってくれているが、他の病院ではまた違った結果になるのではないか?という疑念。

・無
体外受精になってから私の不妊治療は「こなすべきタスク」だった。スケジュールも概ね決まっているし、決められたことを淡々とこなせばいい。とてもありがたかった。
そしてそう思っていないと持たなかったと思う。
メンタル部分は治療記録が全部終わってからまとめて書くが、例えば化学流産にしろ稽留流産にしろ、その子を第一子として名前を付け、毎年命日をお祝いしている人とかもネットの海で見た。自分はそんなことをしてたら心がやられてしまうと思ったのでやらなかった。

・どこかホッとした
タスクとしてこなしていた治療がいよいよ「妊娠」および「出産」になるかもしれないと思った時、未知のものに遭遇する恐怖みたいなものが確かにあった。
子供が欲しくないというわけではなくて、日常ってある日突然変わるよねみたいなそーいうやつ。

そんな感情が入り混じって、とりあえず近日中に胎嚢が排出されると思うので、そこから次を考えましょうということになった。





 

※※※※ここからちょっと人によってはグロい トイレとか血の話もある※※※※

 





排出!?と思いながら数日を普通に過ごし、地元から弟が遊びにきていたので夫と3人で居酒屋に行く。
その頃には生理が来ていたので、タンポンを入れて過ごしていた。

治療中はお酒が飲める=妊娠できなかったということになるのでしみじみしながら飲んで、そろそろ替えようと思ってトイレに行ってタンポンを抜くとかなりでかい血の塊みたいなのがついており、しげしげと見てしまう。

ちょっと考えてあっこれ胎嚢じゃん!と思う。
どうしようかなと思った、というのは人によってはそれを病院に持ってって調べてもらったりする、というのをネットで見て知ってたから。
でもなんか、まあいっか、って思ってそのままトイレに流した。
その時に私は、「お疲れ様!またがんばろな!」と胎嚢らしきものに心の中で声をかけたのだった。

この時に思ったのは、「本当に私のお腹の中にいたんだな!」っていうこと。
採卵だの移植だの、ずっと白黒のエコーで見ていて、実感もなく、このために時間もお金もかけているのにマジでこれ自分の中の話なんか?って思ってたから、
初めて生で見れて嬉しかったし、本当だったんだーと思って後でなぜかちょっと泣けた。

トイレから出て、まだ弟には治療のこと言ってなかったので帰ってから夫にこっそり報告。
こうして私の3回目の移植は幕を閉じたのでした。

次回は転院に悩んだりなんだりしながら先に進みます。いよいよ現代(?)編!
 

不妊治療記録その2 採卵①〜移植①まで、22年総括

その2です。自分も不安な時とかに人のブログを読んで大変参考になったので誰かの助けになればいいなと思って書きます。
あんまり用語の解説とかはないです。時系列順。その1はこちら↓miohaco.hatenablog.com
【2022年6月】受精せず
培養結果は1週間後ということで治療費を払って終了。
採卵日は最初午前半休を取っていたんですが、お腹の痛み的に仕事なんて到底無理ということで全休に切り替えて、自分への労いで美味しいものを食べて帰宅。
心身に相当負荷がかかっていたのか夕方まで爆睡。

起きると病院から数回着信が入っており、寝起きのままかけ直すと「受精を試みたんですが1個も受精せずで、(電話に出ていれば)その場で顕微授精に切り替えられたんですが、時間が経ってしまったので今からやってもおそらく難しい。どうするか」ということを言われ頭を殴られたような衝撃で一気に目が覚める。えっ1つもってそんなことある?しかも私が起きてさえいれば選択が間に合ったのに私は....私.....。
普段自分で自分を責めることなんてほとんどないので、このどうにもならない過失で慣れない自分責めをやってしまいかなりだるかった。
先生もこんなことが起こるとは、みたいな空気でレアケであることが察せられまたショックを受ける。
とりあえずどうしようもないので、次の生理が来たらまた診察することになる。

たとえば事前に半分はふりかけ、半分は顕微といったやり方も可能だったと思うんだけど、私も先生もまさか1個も受精しないなんて思っておらず、つまりはこの数ヶ月の努力とお金が全部パア、採卵もやり直しということなので近年稀に見る絶望感でした。

ここで謎に背筋が伸びたというか、不妊治療の世界へ足を踏み入れた感覚があり映画ならここでタイトルが出るな、とか思った。

とにかく完全に舐めてたという反省、二度とやりたくないしやるはずもないと思った採卵をまた1からやることに辛い気持ちになり、もうここからは自分のメンタルのためにも「何が起こってもおかしくないんだ」という気持ちで挑もうと心に決める。
この出来事のおかげでここから先の治療をかなり強い気持ちで乗り切っていけたなと思う。


【2022年7月】再診
生理が来たので病院へ。
先生からは「この卵子精子の状況で1個も受精しないのはありえないので、おそらく何らかの原因で精子が卵に入っていけなかったのだと思われる」という説明を受ける。
それは精子に力がないのか、はたまた卵の殻が硬いのかはわからないが、卵子精子の状態は毎回変わるし、今の不妊治療界においてはここの原因を突き止めるよりもステップアップすることが結果に繋がるとされていると言われ、確かにそうだなと思った。
つまりは次回は、最初から顕微授精にしましょうということになった。
採卵後の子宮は傷ついているので、2周期置きましょうと言われ、図らずも2ヶ月お休みとなる。

一年に最大12回しかチャンスがない中、こうやって平気で数ヶ月お休みが設けられたりして、大変気の長さが必要な治療だなと思った。


【2022年9月〜10月】治療再開、採卵②、培養結果
お休み期間は特にやることもないので楽しく過ごした。
余談だが職場の直の上司や別部署の人が不妊治療経験者で、ドンピシャで理解があったのが本当にありがたかったな。
一個も受精しない話とか、前提知識がなければ事の重大さが伝わらないので、そこを飛ばして話を聞いてもらえたりしてとても助かりました。

さて治療再開です。
10月の頭採卵に向けて再度自己注射開始。まさか2回目があるとはね。もう手慣れてますよ。
シルバーウィークに福岡に遊びに行って、友達の家で自己注射したりもしたな...思い出...。

2回目の採卵は1回目よりも全然痛くなくて、その代わりに(?)看護師さんが全く手を握ってくれなくて心細かったけど、ここから先独り立ちしないと治療なんてやってけないぞという謎の気負いがあり強く乗り切りました。
文体からも伝わるかもだけど1回目の全滅からもう武士の顔してるので割と淡々とした感じです。

顕微授精の結果、8個卵が取れてそのうち3個凍結できました!やったね!
もう何はともあれ次に進めることがめちゃくちゃ嬉しかったです。
1回目の受精がうまく行ってればとっくに移植までいってたからねー。
タイムロスという感覚はどうしてもあった。
うちの病院では基本凍結した胚盤胞を移植するので、また子宮を戻すために2周期置いてから移植となりました。
気が長いねー。

【2022年12月】移植①、着床せず
初めての移植。
移植は5分で終わるし全く痛くないと聞いていたので、なんの不安もなく淡々と移植周期を進めてました。
胚盤胞は状態によってランク付けがされるのですが、より早く妊娠するためにいいランクのものから順に移植していきます。
今回は5ABというかなり状態の良いものを移植。
当日午前に凍結胚を培養士さんが解凍、状態に問題なければ午後移植という流れです。

移植は本当に5分で終わって感動した。
ここまで来るのに治療を本格的に始めてから約8ヶ月、あまりに長かったな...。と感慨深くなる。
ここからホルモンブーストのために下記の薬を日々飲まなければならず薬ジャラジャラ生活になる。むしろこっちの方がめんどくさかった。ちなみにこの薬はもし妊娠したら9週ぐらいまで続く。長い。

・1回2錠の錠剤 1日2回
・2日に1回 貼り薬 2枚
・1日3回 膣錠

マジで多い。軽く調べた程度だけど、体外受精での移植は特に初期、自然妊娠よりも着床や妊娠維持に必要なホルモンが出づらいとのことで薬をサボるとマジでやばいので真剣に服用する。

移植から十日後、いわゆるBT10に血液検査で妊娠判定。血中のhCG値で判定するのですが、今回は陰性。
数値的に着床すらしてませんでした。

ショックはショックだったけど、確率的に3回移植して1回妊娠くらいが平均だそうなのでスッと切り替える。
採卵と違い、移植は次の周期にすぐ出来るので先生と年末の挨拶をして2022年の治療は終了しました。


【2022年総括】
というわけで2022年の治療はこんな感じでした。
全く知らない世界に足を踏み入れて、辛いは辛いけど面白くもあった。今の医療ってすごいなと思ったし。
でもそんな風に思えたのは、保険適用による金銭的負担がかなり軽かったのが本当にでかかったです。
加えて私は自分で入ってる医療保険からも給付金が出たので、持ち出しがかなり減った。
私の保険では採卵と移植のたびにお金が出ました。ありがたすぎる。
入ってる保険にもよるけど、約款に書いてなくても申請したら出たからみんな絶対に申請して欲しいです。
それと後から気づいて高度療養費制度も申請してそこでもお金が戻ってきたからみんな(みんな)も忘れず申請しよう。
たった1年半前までは、この治療に一体いくら払ってたのかと思うと恐ろしいし、メンタルは持たなかったと思います。
痛い思いして数十万払って、結果が全滅とか受け入れられなかったろうな。

あとはこの出来事を夫や身近な友人、職場の上司にもたくさんたくさん聞いてもらってそれにも感謝しかないなと思います。
夫婦としての不妊治療については全部書き切ったら書こうかなーと思います。

次は2023年!

 

不妊治療記録その1 前段〜初めての採卵まで

タイトルの通りです。

自分も不安な時とかに人のブログを読んで大変参考になったので誰かの助けになればいいなと思って書きます。あんまり用語の解説とかはないです。時系列順。

【2020年?月から2〜3ヶ月】前段
35歳を過ぎると妊娠の確率が下がりリスクが上がるということはぼんやり知っていたので、とりあえずそれまでに体に異常がないか検査してみようかな〜という気持ちで受診。
子供は身近にいなさすぎて欲しいかはわからなかったけど、「いらない」とも言い切れなかったこと、高年齢になってから欲しくなって苦労するなら今悔いないように動きたいと思ったことがきっかけ。

不妊治療専門の病院に行ったら、「検査だけってのは基本無しで、通院前提になる」と言われてまあええかと思い通院開始。
最初のカウンセリングは夫婦参加必須で、「不妊治療は夫婦で取り組むもの」的なお話を受ける。

そこからいわゆるタイミング法が始まるんだけど、これが自分に合わずストレスになったため途中でブッチ、約2年病院に行かなくなる。

*理由*
・通院回数が多い、待ち時間が長い
排卵期は卵を見るために下手したら毎日通うことになる。しかも卵の様子次第で「明日来て」「明後日また来て」みたいなノリなので仕事の調整が大変かつ、不妊治療病院あるあるだが予約しても平気で1時間とか待つので、半休でも間に合わない時がある。

・仕方ないけどタイミングの告知が急
そんな状態で通院して、排卵しそうになったら「じゃあ今日と、できれば明日もタイミング取ってください」とか言われる。
全て仕方がないのだが急だし、かつそれを夫に伝えるのはどうしても妻の役割なのでめんどくさい。しかもどちらかが疲れて寝ちゃったりすると1年で最大12回しかないチャンスが...みたいな気持ちになるのもなんか違うなと思った。お互い眠い時は寝たい。

あとせっかく気持ちありきの夫婦コミュニケーションのはずが、妊娠目的になって余計なノイズが入ってくるのも向かなかったですね。
しかも結果が出るのが2〜3週間後とかなのでその間もなんとなく気にしてしまいこれもストレスで、とにかく向いてなかった。

以上の理由で足が遠のいてしまいました。加えて当時は保険適用ではなく、治療のステップを上げるという選択肢もなかったので....。


【2022年4月】治療再開
不妊治療が保険適用になるというニュースを受けて、それなら、と思い再開。
病院に電話するの勇気が必要だったけど、まあ当たり前だけど普通の対応を受ける。

病院では「前回の通院から約2年経って、理由がなんであれ(たとえタイミングを取ってないことが原因でも)妊娠してない場合は「原因不明不妊」としてステップアップを推奨している」と言われる。
私ももうタイミング法をする気はなかったし、保険適用なら体外受精も視野だったので快諾。

【2022年5月】説明会参加
体外受精をするには夫婦揃っての合同説明会参加が必須とのことで参加。
参加者がたくさんいて少し心強い気持ちになる。
体外受精って?顕微授精って?というぼんやりとした疑問が解決して面白かった。

説明を受けた上で意思のある人は下記の流れを経て治療スタート。
・妻の血液検査
・夫の精液検査
・保険治療のためには結婚の証明が必要だったため戸籍謄本を提出

【2022年6月】初めての自己注射、採卵①
うちの病院では卵を自然に育てるのではなく、一回の採卵で出来るだけたくさん採れるように注射を行います。
毎日通えれば看護師さんにやってもらえるんだけど、到底無理なので自宅での自己注射を選びました。
指導を受けている時マジでこれ自分でやるの?っていうのとあまりにも"医療行為"すぎて怯えた。免許ないです。
やってみたら案外やれるんだけど、とはいえ毎日の注射は楽しいものではなかったです。
私はレコベルっていうペン型の注射だったのでだいぶ楽だったかな。でもラスト数日はセトロタイドっていうのをガチの注射器で打たなきゃいけなくて、それはちょっと大変でした。
約1週間強自己注射をしていよいよ採卵。

採卵は麻酔を使うので、前日の夜から水分や食事も取れずこの暑い中脱水にならないか心配でタクシーで行きました。
ちなみに夫の精液は当日の朝、指定の時間に採取したものを妻が病院に持っていきました。

リカバリールームというベッドスペースに通されて、手術着に着替えて呼ばれるのを待ちます。
今回は局所麻酔だけど、万一痛みに耐えられなかった時にすぐに全身麻酔に切り替えられるように&脱水症状を防ぐために点滴も入れられました。
採卵、説明は受けてたけど一体どんなものなんだとめちゃくちゃ緊張したな....。

で実際やってみてなんですけど、
「もう2度とやりたくない」が第一感想でしたね。(でも最終的にあと2回することになる)

足をM字に開いて手術台に固定された時点で「手術やん」と思ったし、これを当たり前だけど女側しかやんないのマジかー、って思った。妊娠のシステムやばいなー。

厳密にどこに麻酔かけてるかはわかんないんですけどとりあえず子宮周りに麻酔をかけて、そこに細い針を刺して卵を吸い取っていきます。
局所麻酔なのでこちらも意識はハッキリしてて、モニター見ながら卵が吸われて行く様を見てました。見慣れない光景すぎて面白かったな。

麻酔が効いてるからそこまで痛くはないんだけど痛みは0じゃなかったし違和感もすごかった。
※個人差があります。
そばで看護師さんが手を握って優しく話しかけてくれたのが本当に心強くて泣いちゃうかと思ったな。
後から振り返ると1回目の看護師さんが一番手厚かった。人それぞれだということがわかりました。

15分くらいで終了。
リカバリールームで1.5時間くらい休んで様子を見ます。
麻酔が切れてくると重い日の生理痛×2倍くらいの鈍い痛みが下腹部に起こって、私は平気だったけど隣のスペースの人は痛み止めもらってた。
特に問題がないようであれば着替えて待合室へ戻り呼ばれるのを待ちます。
採卵後の人は必ず背もたれのある席に座れるように、待合室の席が確保されてました。

呼ばれて採卵結果を聞くと、無事複数個の卵が取れたこと、今日から「ふりかけ法」で受精を試みて、受精したものは培養&凍結するという説明を受ける。

ちなみに受精方法は二つあってざっくりこんな感じ↓
ふりかけ法:卵子に直接精子を振りかけて精子に自分で受精してもらう方法
顕微授精:針で精子を吸って卵に刺して注入する方法

うちは夫婦共に検査結果に異常が見られなかったことや年齢的にまだ若いこともあり全ての卵を"ふりかけ法"でやってみることになりました。
顕微は精子のパワーが弱かったりしたら選ぶんだけど、針で精子や卵を取り扱うと弱ってしまうデータもあるみたいだったので。

この時私はまあ言うて結果も良好だし2人とも異常なしだし当たり前にうまくいくだろうと思っておりました。
ここから不妊治療の洗礼を受けることになるとは知らずに....。

長くなったので分けます。

最近のこと(推しの3Dデビュー、ジャニーズのこと、日プなど)

今週は嬉しいことがたくさんあって非常に気分がよく、ツイートじゃない文章で書きたくなったのでいくつか書いてみる。

 

*配信者の推しが3Dデビューした

高生紳士くんがついに3Dデビュー。それ自体も感慨深かったけど、何より個人が透けるものは非常に気をつけて出さないようにしていた彼が、3Dモデルを通して本人の動きを見せてくれるというのだから発表された時からとても緊張した。

かつ彼は非常に忙しい人で、その合間をぬって3D関連をやっていたので「あまりすごいことは出来ていない、やれることはやったけど」という口ぶりだったためそれもどうなるかな〜と思っていた。

蓋を開けてみたら、体力が本当になく外にもろくに出ない彼が息を切らしながら歌い、一生懸命身振り手振りを付け、踊っており、あまりに一生懸命なことが3Dモデル越しでもわかりまず泣けてしまった。

彼は自分で歌が得意ではないと言っており、確かに普段から音程を外していることもままあり、それでも気持ちよさそうに歌っているので私は彼の歌が好きなのだが、この日の彼の歌は非常にじょうずで魂が乗っていて、端的に言って素敵だった。自分の彼への思い入れも手伝ってそう思えたことも嬉しかった。

加えて、個人勢でその予算どこから出とんねんという数の衣装とモデルがあって、「いやまあそら自身が手を動かしていないと言う意味ではやってないのかもだけどでもさ」と思って笑えた。

彼の所属する13人の寄り合い「あたたかくなる」で唯一3Dモデルを持っている藍月すりっぷくんも3Dで共演してくれて、ネットの世界に生を受け10年、公私共にほぼネットで生きている高生くんがついにネットの友達と直接会っているのだという事実もとてもすごいことのような気がしてまた泣いた。

配信自体もとても良かったが、彼は今回の配信ついでに長い休暇を取っているようで、すりっぷくんと上野の某ホテルのパンダルームに泊まってそこから配信してくれたり、上野動物園の写真をあげてくれたり、今日はついに他のあたたかくなるメンバーと8人でカラオケから配信までしてくれた。

何も知らない人から見たらこれの何が泣けるのだという感じかもしれないが、とにもかくにもそのどれもが、普段の彼からは供給されないものばかりでこちらもめちゃ刺激的であり、そしてみんなと直接会っている高生くんがとっても楽しそうでこの3日まあまあの頻度で泣いている。人生って楽しいかも・・・。

高生くんを筆頭に「あたたかくなる」を好きになって2年?3年?が経過しているが、毎度毎度友達と「なんでこんな奴ら好きなんだろ」と言いつつかなりの時間を彼らに費やしていて、そういう意味のわからない感情に未だになれていることを幸せに感じている。

 

*ジャニーズのこと

もう熱心に追っているわけじゃないけど当たり前にずっと好きな人たちが、今激動のさなかにいるが、自分は心の距離をいいことに静観してしまっている。現実だと分かってはいるけどどこかまだふわっとした気持ちでもある。

この後の日プの話にも続くんだけど、今世の中で流行っているものが当たり前ですがかなりビジネス的な側面が強い中、ただやりたいことを気狂いの金持ちがやっているエンタメ、ジャニーズがやっぱり好きだったんだよなあという気持ちになることがある。結局それはジャニー喜多川性的嗜好や長年に渡る性加害と切っても切り離せないことなので、うまく言葉にすることも難しいんだけど・・・。

できる限りの速度で状況が変わっていく毎日に「どうして」はなくて納得感しかないのだけど、これからのみんなが少しでも自分のやりたいように出来たらいいなと思ってます。

 

*日プのこと

桃奈をきっかけに初めてサバ番に乗っかれました。のめり込みはしなかったけど毎回楽しく見て、SNSのファンダムのムーブも含めて「これがサバ番か〜」が出来て満足。編集のやばさや国民プロデューサー(笑)の善意の押し付けとか悪趣味なこともたくさんあったけど、ここで誰かの人生が変わるのも本当でトータルでこんな文化が流行っているのはなんか衝撃だったな。別にサバ番に限らず悪趣味エンタメってたくさんあるんだけど、サバ番ではあまりにそれが正とされていてビビった。

割と早い段階で櫻井美羽さん1pickで、いつもどっか気まずそうにしているんだけどそれが本当に美しくて夢中でした。リープハイのセンターもめっちゃ好き。あと途中から1話に1回オモロが出るシーンもあってそれも手伝ったな。

本人も言ってたけど最初は気を張ってて怖かったと思うけど今は素を出せているとのことで、どちらも私に響いたのでよかったです。

初めてのサバ番であまり大きく精神を揺らさずにフラットに楽しめたのは、櫻井さんを視点に見ていたのがかなり大きかったのでそれも感謝。

彼女自身がひたむきというか独特の?姿勢でいてくれて、私も彼女のデビューを全然疑ってなかった舐めた初心者国プなので結果楽しかったです。

ファンクラブも入ったしデビューまでは見届けたいな〜。

 

*私の今年の漢字

2023年の私の漢字は「耐」だったなーと思ってます。

モンスター部下のせいで仕事で初めてメンタル壊されかけて、逃げるって大事だなと思った。それまでは上司と相談しながらかなり努力して指導していたんだけど、あれも今覚えばかなり耐えてたなと思いますね。立場的に部下指導も求められていることの一つだと思っていたし、部下が育たないなら私のせいだと思っていたんだけど、どうにもならないことってあるんだなって。勉強になった。

部下は結局1/1付で人の足りない部署に望まれて貰われていくことになりました。正直うまくいくとは全く思ってないけど、可能性は0ではないからガンバレって感じです。

私生活では22年4月から不妊治療が保険適用になったのがきっかけで、そこからずっと病院に通っていました。友達から「子供欲しかったの意外」って言われたけどこの辺りのことはまた書き残しておきたいなーと思ってる。

不妊治療って基本辛いことしかないが、まあ私は知らんことがおもろい人間なので辛いながらも医療ってすげー!ってことがたくさんあって面白かったし、努力ではどうにもならない世界に足を突っ込んだことで仕事やその他自分でどうにかなることが逆に頑張れたりとかあったな。

なんかほんとにここでしか得られない感情とかあって視野(?)っていくらでも広がるなと思いましたよ。人生まだ長いっすね〜。

 

1年の総括っぽくなってしまいましたが、気が向いたらもう一回くらい書きたいです。

最後まで読んでくれてありがとうございました。